2011年4月11日月曜日

東日本大震災 東京電力福島第1原発 63



これから東日本大震災に関して、私の大先輩にあたる方がまとめた情報を発信します。
これらの情報は新聞、テレビのネット版、2ちゃんねる、またいろいろの人のブログから拾ったものだそうです。


2011/04/10() 17:33

新聞の停刊を避ける策・・・北海道新聞社の場合

<道新関係者さんより>「新聞に停刊の危機か?」の関連情報です。ご参考になればと思います。

新聞業界(出版界含め)においてインク供給不足問題は死活問題となっているのは事実です。同業他社のことはわかりませんが、北海道新聞社としては、どんな状況になろうとも発行継続が社の使命として、国内でインク調達ができるまでの期間、韓国製インクを調達することを決めました。
  資材調達部門の人間が3月末、韓国に出向き契約をしてきたとのことです。ただし、インククオリティーは国産インクと比べかなり劣るとのことです。
北海道新聞社の輪転機は札幌、函館、旭川、釧路、十勝(音更)にあるのですが、それぞれ輪転機メーカーは異なります。メーカーが異なることによる「色のクセ」があるのは当然なのですが、インクに混ぜる「水」が地域によってPhが異なり、「色ののりかた」や発色が微妙に変わるらしく、工場ごとに微調整したインクを使っています。
こうした特注オーダーに応えられる国内インクが調達できないことで、韓国製を使う当面の間は色がくすんだ(特に黒色らしいですが)新聞が発行されることは必至とのことです。
とはいえ、韓国の新聞と同様な印刷クオリティーになるということですから、一般読者にはそれほど不快な思いはさせないとは思います。色にうるさい一部の広告主さんとの調整は大変にはなるかもしれませんが。
つまらぬ情報ですが、ご参考に。それでは、今後もますますのご活躍を祈念しております。
(コメント)非常に参考になります。新聞の印刷も大変なのですね。水のphが関係するとまでは想像しませんでした・・・。(二階堂)

2011/04/10() 15:59
福島原発は水とコンクリと鉛で固める
<情報屋さんより>福島原発の最終解決は、水棺冷却で決まりでしょう。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2011040802000039.html
 ただ、炉の内部が破損している可能性が大きいので、周りからコンクリートのブロックで、原発の建屋を周りから覆うような巨大なプールを作って、全体を冷却、それと同時にプールの中の汚染物質を蒸留する装置を近隣に設置して少しずつおさめていくしかもうほかに手段はないと思います。それから冷却を待って数年にわたって解体というプロセスになるのでは、と予想しています。
   1号炉再臨界も懸念されている現状では、はやく手を打たなければ、ますます深みに落ちる可能性があります。ぐずぐずしていればチュルノブイリ並に700キロメートル先まで危険地域が拡大する可能性があります。
以前に「もんじゅ」のことについてお伝えしましたが、もんじゅにはこの水棺冷却も通用しません。なぜなら、冷却剤である金属ナトリウムは水と反応して大爆発を起こすからです。そしてモンジュには相当量のプルトニウムが納められています。これが爆発すれば、広島や長崎どころではないでしょう。プルトニウムが肺に入れば肺ガンの可能性が高くなります。 1950年代から60年代の肺ガンの罹患率の高さは、世界各地で行われた原爆実験の結果でしたね。「もんじゅ」に関しては本当に頭が痛いです。  



海外メディアは積極的に入ってくるのに国内メディアは電話取材ばかり…年配の女性「ありがとう」重い意味・福島県南相馬市
2011/04/10(日) 19:53:16.88 ID:???0
「(取材に)来てくれて、ありがとう」。東日本大震災の被災地、福島県南相馬市で出会った年配の女性はそう言いながら、私の手を握った。
地震、津波に加え、終わりの見えない福島第1原発事故の影響に苦しむ南
相馬市は、市域の約8割が避難指示(原発から半径20キロ圏内)と屋内退避指示(同20~30キロ圏内)の対象だ。地震前、屋内退避地域には約4万人が住んでいたが、原発事故で一時は1万人を切るまでに減少。だが、先月末頃から数千人程度が帰宅しているという。
今月4日に屋内退避地域に入ったときの印象は、「ゴーストタウン」を思い描いていた予想とは違った。通りを歩く人は少ないが、車は走り、いくつかの店やガソリンスタンドなども開いている。市役所に行くと被災した証明書を求める市民が列をなしていた。
長引く避難所暮らしに疲れたこと、市内の放射線量が原発から30キロ以上離れた
福島市よりも低いこと、経営する店の倒産回避のため…。理由はさまざまだが、「ほとんどは生きるためにやむにやまれず戻ってきた人たち」と市の職員は言い、政府の曖昧な指示が「蛇の生殺し状態」を生んだと批判の実情が伝わらないもどかしさを嘆く。
聞けば、これまで現地に足を運んで取材したのは地元紙を除けば、一部の週刊誌などごくわずか。
海外メディアが積極的に入ってくるのとは対照的に、「30キロ圏内を敬遠する国内メディアは電話取材ばかり」と耳の痛いことを言う。
冒頭の女性とは、屋内退避地域にある病院で出会った。カメラを肩にかけた私の姿を認めると、女性の方から「話したいことがあるの」と声をかけてきた。
屋内退避指示が出た後、南
相馬市に物資がまったく入ってこなくなったため仕方なく福島市内へ避難したこと、ストレスで体調を崩す家族があり意を決して戻ってきたこと、先が見通せない不安などを一気に話し、最後にこう言った。
「来てくれて、ありがとう。話を聞いてくれて、ありがとう。私たちのことを伝えて」
「ありがとう」の重い意味。被災地では、まだまだ声なき声が埋もれている。   産経


「統一地方選挙の結果は菅総理大臣の責任問題につながらない」 ~“震災対応へ責任果たすのが重要”枝野官房長官
2011/04/10(日) 19:51:18.72 ID:???0 ?PLT(12066)
枝野官房長官は、記者団に対し、統一地方選挙について、東日本大震災への対応に責任を果たしていくことが何よりも重要だとして、選挙の結果は菅総理大臣の責任問題につながらないという認識を示しました。 この中で枝野官房長官は、記者団が、統一地方選挙で民主党が敗北したときの菅総理大臣の責任問題をただしたのに対し、「大きな震災に対して政府としてやらなければならないたくさんの仕事を進めているので、その責任を果たしていく。現在、避難している人がおり、福島第一原子力発電所の事故も収束していない。そうしたなかで、責任を果たしていくことが何よりも重要だ」と述べ、選挙の結果は菅総理大臣の責任問題につながらないという認識を示しました。 NHK 4月10日 17時9分


菅「あいつらは正確な情報を伝えてこない。あいつらは何か情報を隠している」 ~本部や会議が乱立 指揮系統、官僚も不明
2011/04/10(日) 19:26:20.12 ID:???0 ?PLT(12066)
東日本大震災への対応で、政府全体を指揮する「司令塔」が依然として見えてこない。
政府内には「本部」や「会議」が乱立気味のうえ、菅首相はブレーンとして内閣官房参与を次々と任命するなど肥大化が続いている。菅首相がどう指導力を発揮するのか、正念場となる。
◆「何の会議」◆
「出席してても『これは何の会議だっけ』と思う」
国土交通省幹部は震災以来、対策本部などの会議に忙殺される官僚の気持ちをこう代弁した。
震災から1か月後の今、政府内では、「会議が多過ぎる」「指揮系統や役割分担がハッキリしない」など、「組織乱立」への不満が充満している。各組織の構成や仕事の内容を整理するために政府が作成した内部資料は十数ページに及ぶ。
対策本部は閣僚級だけで五つ。被災者受け入れ支援については、地震・津波なら「被災者生活支援特別対策本部」、 原発事故による退避なら「原子力被災者生活支援チーム」に分かれる。省庁ごとの「縦割り」でなく、複数省庁による「横割り」組織の乱立には、「責任の所在がわかりにくくなり、かえって非効率だ」(政府筋)との指摘もある。
ある経済官庁幹部は、「ナントカ会議が多すぎて政府全体の優先順位が見えない。自民党政権時代は、党の部会で政治家同士が議論し合い、その場で役人に指示があったので、政治家の問題意識が顕在化して動きやすかった」と話す。民主党は、内閣と党の「政策決定の一元化」を掲げ、震災対応も党より政府主導で進んでおり、意思決定プロセスがわかりにくい。
震災1か月となる11日を機に、首相はさらに有識者らによる「復興構想会議」や閣僚級の「復興本部」(仮称)などを設置する方針だが、
西岡参院議長は7日の記者会見で「会議が踊っている」と酷評した。
◆参与膨張◆
政府の責任の所在をさらに見えにくくしているのが、首相のブレーンとなる内閣官房参与の存在だ。震災後、首相は6人を任命。現在は総勢15人と過去最多だ。
「あいつらは、正確な情報を伝えてこない。あいつらは、何か情報を隠している」
菅首相は、しばしば周辺に「あいつら」への疑心暗鬼をあらわにする。東電や原子力安全・保安院、原子力安全委員会のことだ。首相は連日のように参与を呼んで「あいつらとは違う視点のセカンドオピニオンを得る」のだという。このため、首相は参与との面会には官僚を同席させないことが多い。一部の参与は、東電にある統合本部にも詰め、日米両政府の連絡調整会議にも出席。官僚からは「どういう権限で出席しているのか」との不満が漏れる。
そんな首相に先月27日に会った政治学者の山口二郎北大教授はこう伝えた。「外部の専門家を使うのはいいが、情報がランダムに入ってくるだけでは逆に混乱する」
一方、参与側にも「個別の意見では採用されない」として、民間スタッフによる発言力を強めるための「参与会議」創設を模索する動きもあり、政府内の意思決定ラインは複雑を極めている。(政治部 吉村隆平、鎌田秀男) (2011年4月10日14時53分 読売新聞)



ペンと紙さえあれば、仕事ができる…津波・停電も「新聞出すぞ」石巻日日新聞、手書きで発行・宮城県
2011/04/10(日) 18:43:45.58 ID:???0
 石巻、東松島、女川の2市1町を地盤に、約1万4千部の日刊夕刊紙を発行してきた「石巻日日(ひび)新聞」。石巻港にほど近い社屋はあの日、津波で浸水し、新聞を印刷する輪転機が動かなくなった。社員は全員無事だったが、親類が亡くなった人も。来年で創刊から100年を迎える地域の情報源は、発行停止の危機に直面した。
だが、近江弘一社長(52)が下した判断は「新聞を出すぞ」だった。武内宏之報道部長(53)は
こう説明する。「戦時中の先輩記者たちは、国の1県1紙政策で廃刊に追い込まれても、わら半紙に記事を手書きして近所に配り続けた。私たちはペンと紙さえあれば、仕事ができる。そんな原点に立ち返った」
6人の記者が、災害対策本部のある役所や避難所で取材を続けた。携帯電話もインターネットも
使えない環境で、頼れるのは人間の足。自宅が波に飲まれた新米の横井康彦記者(23)が、泥水をかきわけて現場へ向かい、同僚から取材メモを受け取って会社に届けた。
集まった素材を基に、近江社長が水難を逃れたロール紙にフェルトペンで記事を書く。それを社員が書き写して計6部作成。3月12日から6日間、避難所やコンビニエンスストアなどに号外として掲示した。
重視したのは生活関連情報だ。水や食べ物など物資の配布時間、入浴できる場所、再開した飲食店の営業時間。大切な誰かを探し、空腹に耐える被災者たちが隅々まで見入った。平井美智子記者(50)は「IT社会のもろさを思い知らされ、新聞の存在意義を再認識した」とかみしめる。
同17日には会社のプリンターを関係者宅に持ち込み、A4判の新聞を印刷した。19日に電気が復旧し輪転機が使えるように。資材不足などの影響で紙面は通常の半分の4ページでの発行が続くが、震災から一日も休まず被災者へ届けている。
「街に灯り広がる」―。1万世帯以上の通電を報じる壁新聞にそんな見出しが付いたのは、震災から6日後。いまだ多数の住民が見つからず、がれきの山が復興を妨げるが、それでも平井記者は「被災者の心の救いになるような、希望の持てるような記事を発信したい」と前を向く。
http://www.okinawatimes.co.jp


巨人の小笠原が被災地に2千万円を寄付
2011/04/10(日) 18:39:15.44 ID:???0
 巨人は10日、小笠原道大内野手が東日本大震災の被災地への支援金として、2000万円を寄付すると発表した。支援金は自身や津波の被害を受けた各被災地がある自治体の災害対策・復旧担当の窓口に直接届ける。
小笠原は球団を通じ「プロ野球は12日に開幕しますが、さまざまな被災地でも、少しずつ復興の気運が高まっていると聞いております。今年は被災地が一刻も早く復興することを強く願いながらシーズンを送ります。今後も状況に応じ、自分にできることがあれば、支援を続けたいと思っています」とコメントした。                     http://www.daily.co.jp


被災後4週間、「原発から3kmの所で生活する男性(75)を発見」英メディアが報じる…ラジオで情報、救助待つ
2011/04/10(日) 17:39:57.15 ID:???0
★福島第一原発から3キロの所で生活する男性がいた
福島第一原子力発電所から約3キロしか離れていない場所で、避難せずに生活を続けている75歳の男性の姿を、海外メディアが報じている。日本の大手新聞、TVなどが報道規制を敷いている中で、海外メディアが、避難勧告が出ている地域に乗り込んで、地元住民の貴重な肉声を伝えている。
英デイリーメールによると、福島第一原発から約3キロの民家で避難をせずに暮らし続ける75歳の男性を発見した。男性の職業は農業で、3月11日の地震当日はすでに津波が玄関まで迫り、どうすることも
できなかったのだという。妻とははぐれてしまい、現在どうしているのかもわからず、また連絡も取れないために安否が心配だという。「どこかに避難していてくれれば」と話している。
食糧もあまりなく、今後の生活は厳しいことは確実だが、それでも「ここに残って生活したい」と話しているという。
(画像)被災後4週間、電池式ラジオのみを頼りに救助を待っていたというシガ・クニオさん(75)、
「歩くことができないので離れられない」と言う      http://i.dailymail.co.uk


官邸の危機対応迷走…首相菅直人は原発問題に没頭し、被災者対策は後手に回る・時事通信 [大震災1カ月]
2011/04/10(日) 17:36:41.35 ID:???0
東日本大震災で首相官邸は、地震・津波被害と東京電力福島第1原発事故という二つの危機への対応を同時並行で迫られた。しかし、首相菅直人は原発問題に没頭し、被災者対策は後手に回った。前官房長官仙谷由人の副長官起用など態勢強化を図ったが、発生1カ月を迎えた今も初動の遅れの影響は残ったままだ。(敬称略)
◇怒鳴る
「何でこんなことになるんだ」「説明してみろ」。原発事故発生翌日の3月12日未明。官邸の首相執務室に菅の大声が何度も響いた。
福島第1原発で冷却機能が失われるという深刻な事態に菅は動揺し、首相補佐官や秘書官らを怒鳴りつけていた。菅を落ち着かせるため、菅一人を残し、全員がいったん執務室から離れた。この後、菅は「現場を見に行きたい」と福島第1原発を自ら訪問することを決め、同日朝に自衛隊ヘリで現地に入った。
帰京後の同日午後、1号機で爆発が起きた。詳しい事情がなかなか伝わらないことに菅はじれていた。
「多分、水素爆発だと思います」と話す原子力安全委員長の班目春樹に対し、菅は「何言っている。
しっかり調べろ」と声を荒らげた。
3月15日早朝には東電本社に乗り込んで「撤退などあり得ない。覚悟を決めてほしい」と発した。
声は部屋の外に響き、閉め出された記者の耳にも入った。その後は、菅が周囲に怒鳴り散らす場面は減ったという。
「首相は官邸を離れるべきではなかった」。菅の福島原発訪問にはこんな批判がある。
視察が東電の事故処理を遅らせたとの見方もある。だが、菅は同29日の参院予算委員会で、現地責任者を早く知ることができたとし、「その後の経緯を考えると、極めて有効だった」と反論した。第1原発所長の吉田昌郎に信頼感を抱いた菅は、官邸からしばしば吉田に直接電話して指示を出すようになった。
政府は東電側と緊密に連携を取ろうと、東電本社に事故対策統合連絡本部(本部長・菅)を設置し、首相補佐官細野豪志らが出入りしている。それでも菅は現場の声を聞かないと気が済まないようで、政府内には指示の混乱を懸念する声もある。
菅の早期原発視察は弊害も指摘され、官邸関係者は「首相が前面に立って動く印象を与え、官僚が指示待ちになった」と話す。菅の性格をめぐっては、かねて「関心がある話にどんどんはまり込む」(政府筋)との見方がある。二つの危機への同時対応が必要な今回の局面でもそれが表れ、被災者対応は後回しになったと言える。
◇会議は踊る
大震災後、対策本部や会議の設置が相次いだ。参院議長西岡武夫は復興計画をつくる「復興構想会議」に関し「幾つ会議をつくれば気が済むんだ。会議が踊っている」と自ら指導力を示さない菅を批判した。
官房長官枝野幸男は「省庁間調整が必要で、本部や会議をつくることはむしろ効率を高める」としているが、政府内にも「整理は必要」との声がある。
当初は被災者支援の司令塔がはっきりしない状態が続き、各府省の縦割りもあって、食料や燃料など
緊急物資の搬送は遅れた。このため、菅は震災発生6日後の17日、各府省に人脈を持つ仙谷を官房副長官として官邸に呼び戻し、被災者対策の調整を委ねた。
仙谷が官邸入りした段階で「被災者支援はゼロからやり直し」(仙谷周辺)の状態。対策を練るため、
官邸に東北地方の大地図を取り寄せたのも仙谷だった。
仙谷主導で各府省の事務次官を集めた会議が22日から始まり、被災者支援の指揮系統はひとまず整った。しかし、初動の遅れは響き、政府関係者は「被災地の要望と実際に届く物資には、まだかなりずれがある」と指摘している。(時事ドットコム)


作業員が体調不良で病院搬送 福島第一原発[04/10/17:25]
東京電力は10日午後4時半過ぎに記者会見し、福島第一原子力発電所で作業中だった協力会社の作業員1人が体調不良を訴え、病院に搬送されたと発表した。
東電は、作業員に放射性物質の付着はなく、被曝(ひばく)線量も計画線量以内だったとしている。
東電によると、10日朝から2号機の排水ホースを設置する作業をしていた30代の男性作業員1人が午前11時10分に体調不良を訴えた。
医療関係者を伴い、点滴を受け、午後2時半過ぎ、病院へ搬送された。意識はあり、自力歩行も可能という。               読売新聞 4月10日(日)17時3分配信



カブス・福留が東日本大震災の被災者へ送った義援金は100万ドル(約8500万円)
2011/04/10(日) 17:19:45.08 ID:???0
福留、2試合連続で出番なしも義援金は100万ドル
◆ブルワーズ6─0カブス(9日・ミルウォーキー )
カブスの福留孝介外野手は、2試合連続で相手先発が左腕だったためにまたも出番がなく「特に話すことはないですよ」と言い残して球場を後にした。
グラウンド内での目立った動きはなかったものの、東日本大震災の被災者へ送った義援金が、100万ドル(約8500万円)だったことが米国内の関係者への取材で、この日分かった。
マネジメント会社が先月末に寄付を発表した際、福留は「一日でも早い被災地の復興がかないますよう、そして、一人でも多くの方たちの笑顔がその地に戻りますよう、心からお祈り申し上げます」とコメントしている。                      スポーツ報知


震災による死亡確認、12,998人に
2011/04/10(日) 17:11:25.15 ID:??? ?PLT(12556)
東日本大震災で、10日午後3時までに死亡が確認された人は、1万2998人に上り、警察に届け出があった行方不明者を合わせると2万7689人となっています。
警察庁によりますと、今回の大震災で10日午後3時までに死亡が確認された人は、東北地方では▽宮城県で7929人、▽岩手県で3796人、▽福島県で1211人、▽青森県で3人、▽山形県で2人となっています。関東地方では▽茨城県が22人、▽千葉県が18人、▽東京が7人、▽栃木県と神奈川県でそれぞれ4人、▽群馬県が1人となっているほか▽北海道でも1人が死亡しました。これまでに死亡が確認された人は、7日の余震による死者も含めて合わせて1万2998人に上っています。
このうち、およそ83%に当たる1万791人は身元の確認が終わり、順次、家族などに遺体が引き渡されているということです。また、警察に家族などから届け出があった行方不明者は合わせて1万4691人で、死亡した人と合わせると2万7689人となっています。
一方、津波で大きな被害を受けた▽宮城県の仙台市と、▽東松島市、それに▽南三陸町の3つの自治体については行方不明者の数が集計できていないうえ、避難指示の対象となっている福島第一原子力発電所から半径20キロの地域では捜索活動が進んでいません。このため震災による死者・行方不明者の数はさらに増えるおそれがあります。  NHKニュース 2011/04/10[17:11:24.49]


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